おっぱい論を読んだ

あるところで読んだんだけどどのページだか分からなかったしトラックバックしたりするのも趣味じゃないしそのページの結論も割りとどーでもよかったのでリンクもしないよ。


で、大小や形や色や感触といった物理的なところよりも、自分が好きな人におっぱいがあるというのが最高に素敵で興奮すると思います。いくつかのおっぱいを眺めそしてもうこれだけインターネットにありとあらゆるおっぱいが存在しありとあらゆるおっぱいを簡単に見ることができるようになると、脳によって作り出されるさらなる情報がないとこーふんもかんどーもないのです。だからジョゼで池脇千鶴のおっぱいを見てどきどきできるんです。


というところで終わるとそんなんお前の性癖じゃんかというつっこみに弱いのでもう少し書く。人は交わされた言葉だけで判断することはまず無いし、起こった出来事などなどもろもろのインプットを頭の中で想像して妄想して、より多くの情報として処理している。なので他人にとっては大したことはなく思えることも、非常に多くの想像を超えた量の情報として相手には記憶されている。だから僕は自分の好きな人のおっぱいがこの世で最も素晴らしいものだと感動する。そしてそれは僕だけに限ったことではないだろうし、おっぱいだけに限ったことではない。だからこそ自分が大切に思うことを適当に扱われれば怒る。僕がそれを大切にしていることを考えなかったり、相手にとってとても大切なことであることを考えていなかったり、考えるのが面倒なのか何なのかよく知らないが、適当に扱われているのを見ればかつてないほどに怒る。つまり僕はとてつもなく怒っている。ましてや一度怒っていることがあれば尚更である。


このように好きなものに対する判断は過剰に感情的に成らざるを得ず、ことは重大だ。たかがおっぱいのことであると侮り安易な結論を下す輩は僕の前をちらつくんじゃないよと思う。